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ナイロン100℃「カラフルメリィでオハヨ〜いつもの軽い致命傷の朝〜」[ 芝居 ]

ナイロン100℃「カラフルメリィでオハヨ〜いつもの軽い致命傷の朝〜」

作・演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ
出演:みのすけ 犬山イヌコ 三宅弘城 大倉孝二 峯村リエ 廣川三憲
   村岡希美  安澤千草 喜安浩平 植木夏十 眼鏡太郎 廻飛雄
   馬渕英俚可 三上市朗 小松和重 市川しんぺー 山崎一

余命わずかと宣告されたお父様に付き添いながら書き上げた戯曲で、ケラさん、一生に一本の私戯曲だそうです。4回目の上演。わたしは初見です。

人生の最期を迎えつつある老人と、仲間とともに病院からの脱走を試みる少年。
この二つの物語が絡み合いながら物語は進んでいく。
何が現実で何が夢なのか、境界線が曖昧に作られている。
老人と少年はどうやら同一人物らしいのだが、時々、少年は老人の家族の中に入って、老人を「父さん」と呼んだりする(しかし、彼の姿は家族には見えない)。どうやら老人は病床にもあるらしい。では、家族と団らんしている老人は?ふんどし一丁で商店街を駆け抜ける老人は?

すべては余命幾許もない老人の夢なのかもしれない。意識は戻らぬままにこんこんと眠り続ける老人の、混濁した夢。思い出と妄想が入り交じった夢。
そして、少年が病院からの脱走に成功したとき、老人の夢も終わる。
老人の死を悼む息子の「父さん」という声だけが、(夢でも妄想でもないという意味での)現実的に響いたのが印象的だった。

とはいえ、このお芝居、ナイロンらしくナンセンスな笑いの応酬。
げらげら笑いながらも、時折かいま見える寂しさに、一層切なくさせられた。

人は誰だって死ぬんだから何らかの致命傷を負っているのであるが、かといってすぐに死ぬわけじゃないから、わたしたちは毎朝「いつもの軽い致命傷の朝」をむかえている。
いつもと同じ致命傷の一日に、人は何気なく死んでいく。死にゆくときは決して特別じゃなく、昨日や一昨日や、五年前のあのときと何も変わらないのかもしれない。


とは言っても、死なれると辛い。
死なないで生きていてほしいと、本当は思うのだ。