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2008年04月22日

わたしは、多くの物事を混同して認識していた。 [ 何んでもない ]

つい近年発覚したのは、「真心ブラザーズと大事MANブラザーズバンドの混同」であった。今でも混同した認識が正確に分化できたのかは自信がないが、「過去に混同していた」ということだけはわかっている。どちらがどちらかということもわかる。ただ、どちらについての印象もなんとなくぼやぼやーとしたままの気もする。体に染みついた混濁は未だぬぐえぬまま。

まだあった。

わたしは、大貫妙子とEPOの区別がついてない。
大貫妙子と聞くと、大貫妙子を思い出すが、EPOと聞いても大貫妙子を思い出し、その時点では大貫妙子という存在を忘れ去り、EPOが大貫妙子そのものになっている。
どちらかというと大貫妙子主導なかんじのする混同でもある。
混同していたんだな、という認識を持った今でさえ、なんだか判然としない。もしかしたら、このふたりは同一人物なんじゃないかという疑いもなくはない。
別人ですよね?

もうひとつ
甲斐よしひろとタケカワユキヒデ
こちらに関しては、もうだいぶ前から混同は解けている。
まったくもって別人だと理解している。
ただ、あるときふと、「わたしはこの二人を混同していた時期があった、たしかにあった」という記憶がよみがえってきたのだった。
でも、甲斐よしひろの顔がいまいち思い出せないので、タケカワユキヒデの顔で記憶を補正しているような気もしないでもない……。

もういっちょ、前述のごとく、混同していた記憶が突如よみがえった例。
布施明とアルバートさん。(TVアニメ、「キャンディキャンディ」)
今思うに、幼稚園時分のわたしのこの二人に対する認識は、混同というよりも同一人物だという確信であったと断言できる。
当時のわたしの認知できる世界内には、長髪を少しカールしていて、顔がバタくさいのに流暢な日本語を話す年上の男性は、布施明とアルバートさんだけであった。ゆえに、いつの間にかこの二人の存在が重なり合い、声高らかに歌い上げる布施明に向かって「アルバートさん…」と語りかけていたに違いない幼稚園児。
そして、アルバートさんは大人過ぎるから、わたしはやっぱりテリィが好きだわ…などと思っていた幼稚園児。
そしてそれから30年経っても、「テリュース・G・グランチェスター(テリィの本名ね)」と時々呟いてしまう……そんなわたし。
(なんか最後は「キャンディキャンディ」の思い出みたいになっちゃった)

2008年04月13日

「失楽園」における爆笑問題、でも食べたい [ ]

どちらが先だったのか今となっては定かではないが、10年と少し前、わたしは渡辺淳一著「失楽園」上下巻を読み、その映画化された物をわざわざ映画館に観に行った。読んでから観たのか観てから読んだのか、全くもって覚えていない。覚えているのは、どちらにおいてもきっちりと爆笑したことである。
別に笑える話ではない。ご存じの方も多いと思いますが、お互いに配偶者のある男女が不倫の恋の果てに心中する、という話である。そしてその心中の仕方がなかなかショッキングでもあり、話題になりました。
わたしは小説よりは映画の方が好きでしたね。
小説の方は、著者にとってありがたい女性像が満載で、多少胸くそ悪くなったものだった。映画でも勿論その要素は見て取れたましたが、映像が美しいのと役者が素敵なのとで、なんとなく誤魔化されて観られたと記憶している。
なんというかさあ、昼は淑女で夜は娼婦?みたいなの、そういうの好きなんだろうなあ……ニッポンノオジサンって……いや、著者の趣味なのかなあ。まあどちらにせよ、そのあまりの都合の良さに鼻白んだり苦笑したり。
脱線しますが、映画で、久木と凛子(「失楽園」の不倫カップル)がどこかで薪能を観た後ホテルの部屋に帰って速攻燃えるシーンがあったのですが、それ以降、薪能と聞くと久木と凛子のというか役所広司と黒木瞳の乱れっぷりが脳裏を過ぎってしまう。「薪能、一度観たいなあ」と思っても、その直後にふたりの官能的な様態が浮かんでしまう。このままだと、薪能自体がいやらしいもののように感じられるようなりかねなくて、とっても申し訳ない。薪能に。お能の人に。
戻ります。
先にわたしは「失楽園」を読んでそして観て「爆笑した」と言いました。その爆笑です。
「失楽園」では、同じ物を2回食べるシーンがあります。
いったい何を食べていたかというと「鴨とクレソンの鍋」なんですが、一度目は久木と凛子が二人で会うために用意したマンションで。
それまではホテルでしか会えなかった二人が部屋を持てたことで、料理を作って二人で食べるというのがすごく嬉しかったのだろう。盛んに「おいしいわー、ふたりでいただくと、どうしてこんなにおいしのかしら」とかなんとか凛子が言っていたような気がする。
おまけに凛子の大好物らしく、「君の好きな」「わたしの好きな」「鴨とクレソンのお鍋」とかなんとかいう陳腐な台詞を吐きながら、彼らは盛んにそれを食べるのである。
ここでまず爆笑。何もふたり揃って料理名を確かめ合わなくても良かろうに。それに「お鍋」ってなんだ。「鍋」でいいだろう。「鴨とクレソン」でちょっと気取った料理名も「お鍋」で膝の裏をつつかれたようにがっくりくるではないか。
そして彼らはもう一度それを食べるのだ。それも、心中する直前に。シャトーマルゴーをグビグビ飲みながら。そして彼らはまたもや口を開く。「鴨とクレソンのお鍋」「わたしたちの思い出の料理」。
お願いですから、死ぬ直前なんですからもう少し神妙にしてください。「お鍋」は止めて下さい。それから、初めて食べるわけじゃないんだからいちいち料理名を口にしないでください。おまけに「思い出の料理」って。なんで体言止めなんだ。
ともかくこの二つのシーンでわたしは大爆笑し、一緒に映画館に行った友人からひどく顰蹙をかったものだった。なつかしい。
ところでこの、「鴨とクレソンの鍋」を一度食してみたいと10年来思い続けているわたしではあるのですが、どなたかレシピを知りませんか?
食べた後に心中したりしないので、是非教えて下さい。あの、久木と凛子が食べてたのと同じのが食べてみたいのです。レシピを知りたいという、ただそれだけのために長文を書いてしまいました。